人生を変えるBlog ~幸せになりたい方へ~

人生をよりよく生きるために、日々学んでいきたいと考えています。その中で、自分が感じたことを記していきます。人生を変えたい方、幸せになりたい方のお役に立てたら幸いです。よろしくお願いいたします。

相手と本音で語り合う方法②

 

本日は相手の本音を聞く方法について、記させていただきます。

 

「そんな簡単に、相手が本音で話してくれるわけがない」と思う方と多いと思います。

 

昨日の記事を読んでもらうとわかりやすいかもしれませんが、自分の本音に気がついたら、相手にも本音に気づかせることができるではないかというように、まずは、考えます。

 

要するに、直接的に聴きだすということではなく、こちらの質問によって、相手の本音を引き出すというと、少しわかりやすいと思います。

 

まずは、相手の話を集中して聴くということが最初のステップとなります。

 

集中して聴くとは、相手が話をしている時に、自分から出てくる、判断や評価などの考えを一旦、脇に置いておくということです。

 

誰しも、話を聞きながら、自分が話したいことを考えています。

それを一旦控えて、聴くことのみに集中しましょう。

その上で、相手が話したことを「受け取った」というサインをしていきましょう。

 

相手が話したことをまとめて話したり、繰り返すだけで、相手には「聴いてくれている」と感じてもらうことができます。

 

相手が同じ話をグルグルしているような、場合は

「今まで聞いたことを受け取れたか確認してみたいから、自分から伝えていいですか?」

というように聴いてみましょう。

 

集中して聴くことで、相手は「この人は話を聴いてくれる人だ」と感じてくれるようになります。

 

相手と信頼関係が築けて、話が聞けるようになったら、相手が本当に大事にしていることを聞いていくようにします。

 

その前に、まずは昨日の内容の、自分が自分の本音に気づくことができるようになっている必要があります。

 

その上で、相手の感情を尋ねるようにしていきます。

この時に、注意が必要なのは「自分の判断や解釈で決めつけない」ということです。

「こう思ってるんだよね?」

ねはなく、

「こう思ってるの?」

「こう感じているの?」

というように、

わからないから、教えてほしいというような謙虚な気持ちが大切です。

 

間違えても構わないので、相手が感情に気づけるように手伝うような意識で、確認をしていきましょう。

ここまでがステップ2となります。

 

最後は、自分の本音同様に、本当に大切にしていること。ニーズについて、尋ねて行くようにします。

 

例えば、「同僚が上司に頼まれていた仕事を忘れてしまっていた」

 

というようなことがあって、相談を受けたとします。

その時に

「仕事を忘れて、焦ったし、不安になってしまったの?」というようにまずは感情を訪ねていきます。

そうすると相手は

「不安というか、恐怖かなぁ」というように、自分の感情を伝えてくれるかと思います。

 

そこまでで、同僚は自分の感情に気がつくことができました。

 

今度は、なにを大切にしているか、ニーズを尋ねていきます。

「上司との信頼関係が大事だから怖いと思っているの?」というようにです。

そうすると、同僚は

「信頼関係はもうないかもしれない。それ以上に家族が大切だから、自分の仕事がうまくいかないのが困る」

というようになど、自分が大切にしていることを話して、自分で気がつくことができるようになっていきます。

 

ニーズは一つとは限らないので、自分の感情かあっちこっちに移動しながら、ようやく気がつくということもあるようです。

 

その中で自分が納得するものに出会い、相手に「理解してくれた。」というように感じてもらえることで、信頼関係はさらに深まります。

 

誰しも、普段の会話では、判断したり、評価したり、アドバイスをしてしまいがちですが、本音でコミュニケーションをとるには、相手の感情とニーズを尋ねる質問をしていくようにすると、よいと思います。

 

それ以外は、相手の話を集中して聴く。

ただありのままを受け取ったということを相手に伝えていく。

 

最初は難しいかもしれませんが、意識して習慣化していくと、不思議とできるようになります。

 

ポイントは相手に興味を持ち続けることですね。

 

自分の考えを話すのではなく。相手に興味を持って、意識を向け続けていきましょう。

 

 

 

 

相手と本音で語り合う方法①

 

 

相手にそんな気軽に本音なんて言えない。

そのように感じている方も多いのではないかと思います。

 

本音を言ったことにより

「嫌われる」

「自分の評価が下がる」

「怒られるのでは?」

というように思ってしまうこともあると思います。

 

そもそも本音ってなんなんでしょう?

まずは自分の本音に気がつく技術を本日は、お伝えしていきたいと

思います。

 

今後の流れとしては

①自分の本音に気がつく

②相手の本音を聞く

③相手に自分の本音を伝える

 

の順番でお話しさせていただきます。

 

まずは、自分の本音に気がつく必要があります。

出ないと、相手の本音も本音かどうかが理解できないし、自分の本音を伝えることもできません。

 

自分の本音とはなんでしょうか?

 

例えば、自分の部下が仕事でミスをしてしまい、つい「なんでそんなことしたんだ!」と怒りをぶつけてしまうようなこともあるかもしれません。

その後に、自分の行動を振り返って、後悔するようなことはないですか?

 

そのようなことにならないように、まずは、自分の感情が揺れたら、感知していくことが大切だと思います。

 

そして、自分の感情はなんなのかを改めて認識する

「自分は腹が立っている」というように。

 

そこまで、自分を俯瞰してみることができたら、「なぜ腹が立っているか」を考えていくことにします。

そこには必ず理由があります。

 

例えば、「顧客に迷惑をかけたくない」というような気持ちだったり、

本当は「部下にしっかり対応できるようになってほしい」という愛情だったり、人それぞれ大切にしている価値観があると思います。

その価値観が満たされないから、不快な感情が起こるのです。

 

自分が「曲がった事が大嫌い」だとしたら、秩序を乱すような人を見ると、イライラしますよね?

そんな時に

「ああ、イライラしてるなぁ。自分はやはり秩序を保つことが大切だと思っているんだ。」

というように考え、ぜひ深呼吸してみてください。

 

それが、自分の本音にたどり着くということです。

自分のことを自分自身で理解してまずは、安心しましょう。

 

その上で自分が大切だと思っていることに気がついたら、相手にイライラしたりするようなことが、かなり減るはずです。

 

その上で、普段の言葉も丁寧になっていくのではないかと思います。

 

自分を俯瞰的にみることが、改めて大切だなぁと思います。

 

明日は、相手の本音を聞くという点について、お話をさせていただきたいと思います。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

違うことをしないこと

 

本日は、よしもとばななさんの著書

「違うことをしないこと」を読んで感じたことを記しておきたいと思います。

 

嘘をついてしまうと、嫌な気持ちになったり、本当は自分がしたくないことを無理にやろうとすると、変に力が入ったりするようなことは誰でもあるのではないかと思います。

 

そういうことをしそうになってしまった時、立ち止まってよく自分を見つめることが大切だと、感じます。

 

例えば、「嘘をついてはいけない」と思いながらもつい、嘘をついてしまった。

そして、その嘘が明らかになり、誰かも、自分も不快な気分になってしまう。

 

そのようなことは、自分もたくさんあったし、そのような、経験をしたことがある方は大半ではないでしょうか。

 

嘘をつく理由はなんでしょう??

偽ることで、自分を優位に立たせるようにしている。

偽ることで、何かのプレッシャーからにげている。

など、自分本意のものが多いのではないでしょうか?

 

本来の自分を生きるには、そのような「違うと思ったことをしない」ことが大切だと思います。

 

そもそも、じゃあ「本来の自分」って何?ということになると思いますが、生まれ持ったものが、人それぞれあるというところが、本来の自分だそうです。

 

要するに赤ちゃんの頃の自分ですね。

 

世の母親は、「あなたは小さい時から、そうだった。」とか

「そういうところでよくムキになるよね。」とか、言ってくれると思います。

 

そういうところに、「本来の自分」を読み解くヒントがあるそうです。

 

私の場合、母に言われて印象的だったのは、何年も同じ仕事をしていて、ようやく芽が出始めたときのことでした。

その時に「あなたらしい」と、お母に言われました。

確かに、自分は器用なタイプではないので、不器用だが、続けていくことが大切だな、と改めて感じました。

 

世の中はノイズが多すぎるから、自分を見失ってしまうことも多々あると思います。

 

そんな時に、本来の自分はどうしたいのかを考えるだけでも、落ち着いて自分がどうしたいのかが見えてくるのではないかというふうに思います。

 

なにかしようとした時に、「変に力が入る」

「なにか違う気がする」というのは人間が持っている不思議な危険を回避できる能力ではないかと思います。

 

それを察知して、より良い方向に、自分が生きたいように人生を変えていけたら素敵ですね。

 

なにかに、イライラしてしまうような時も、

「おそらく自分が何か違うことをしているからだ」というふうに冷静に自分を見られると良いかもしれませんね。

 

 

 

 

 

ネガティブな心をポジティブに切り替えていこう

 

人間ですから、誰だってネガティブな気持ちになったり、ネガティブな言葉を言ってしまう時はありますよね?

 

自分もつい

「めんどいな」

と思う時があります。

 

周りの人の言葉を聞いてると、実はネガティブな言葉ばかりです。

「やらなければならない」

「やらないと、怒られる」

「仕方ない。やろう」

 

自分の好きな言葉で

「未来は自分の口から言った言葉で創られる」

というものがあります。

 

どの自己啓発書にもうまくいっている人はいつもポジティブな言葉を発していると記されています。

「やりたいから、やる」

「やることで成果が期待できる」

「あの人のためにやろう」

 

ネガティブな言葉をつい、言いそうになったら、一呼吸置いて、自分を見ることができると良いなと思います。

 

そこで、「自分はめんどくさいって思ってるんだな。でも、どうしたらポジティブに切り替えられるかなぁ」

って少し考えてみる。

 

「めんどくさい」→「やる必要がある」

というふうに言葉に出すと、気持ちも多少は変わってきます。

 

これは最初は慣れないかもしれませんが、習慣化していくと、不思議と自分でブレーキをかけることができるようになり、言い換えられるようになります。

 

ただ、無理に言い換えようとして、自分の心を苦しめてしまうようでしたら、それはやめてください。

「いいよ。いいよ。それでいい。」

って自分を受け入れてください。

 

そんな、ありのままの自分を受け入れて、許してあげてください。

 

本当に思える範囲で、少しずつ変えていければいいんです。

私は、教育の仕事をしております。

沢山の生徒を見てきた中に、どうしようもないくらい自己肯定感が低い生徒がいました。

「おれは馬鹿だから無理」

というような言葉を毎日のように自分から言っていました。

 

そう思ったら、そう。

そう言ったらそう。

私はそのように思います。

 

だから、その時の私は

「そんなことはない!やればできる!」

とその生徒の考えを否定して、励ましてきました。

 

でも、それは、改善には向かいませんでした。

 

最近、とても有り難い研修にて、それを変えていくヒントを教えていただきました。

 

そのような生徒がいたら、まずは、

 

「そうか、自分は馬鹿だと決めてきたんだね?いつからそう思っているの?」というように優しく受け入れる。

 

そして、相手に自分が受け入れられたことを感じてもらったら

「でも、馬鹿とは限らない」といふうに、少しだけ意識をずらす。

「馬鹿とは限らないって言ってごらん」

というふうに子どもに言ってもらう。

1回言ってくれたら、

「いいぞ。いいぞ。もっと言ってごらん」

というふうに何回も言ってもらう。

「毎日言ってごらん」

というふうに、促してあげる。

言っている様子を毎週確認してあげる。

 

これをずっと続けていくことで、気持ちは変わってくるそうです。

 

それでも、親や教師に馬鹿にされるようなことがあるかもしれません。

 

でも、せめて自分で自分を信じられることの大切さを教えてあげたい。

 

そう思います。

 

だって、生まれてから最後までいつも一緒にいるのは自分自身なんですから。

 

自分が誰よりも自分を愛して、信じられたら幸せじゃないですか。

 

自分を幸せにできたら、きっと人も幸せにできる。

 

そう思いました。

 

自分の色々な感情を受け容れる「究極の呪文」

 

誰しも、自分の感情と闘ったり、それで自己嫌悪になったり、するようなこともあると思います。

自分もそうです。

自分の感情をコントロールしようとしても、無理だなぁって思います。

つい、イライラしたりしてしまいますよね。

 

例えば、母親の場合、息子さんとケンカをしてしまい、イライラしてしまうようなことありますよね。

「なんでそんなこと言うのよ!」っと思った気持ちも

「なんでわかってくれないの?」っと思った気持ちも

「こんなことでイライラしてはいけないなぁ・・・」っと思った気持ちも

「もっといいお母さんになりたいなぁ」っと思った気持ちも

 

「いいよ、いいよ、それでいい。そう思ってそれでいい。」

って自分に言い聞かせてあげてください。

 

また、その時に、自分の頭を両手で撫でてあげてください。

自分の感情をいったん全部受け止める。

自分の感情と闘わない。これが、究極の認め方です。

 

誰でも「この感情はいい」「この感情はよくない」という風に判断しがちです。

自分もそうです。

 

娘がものすごい駄々をこねると「怒ってはいけない」というように自分の感情と闘っています。

しかし、「怒ってはいけないという自分の気持ちと闘っている。いいよいいよ、それでいい」

むしろ、娘がよくわからないことで、イライラしているのをみて、

「いいよ、いいよ、それでいい。」

 

と認めてみると少し楽になりました。

 

どんな感情も感情自体に良い・悪いはないと思います。

しかし、「こんなことを思ってはいけない」という風に自分を責めてしまうことが誰しもあると思います。

そして、自分が嫌になってしまうこともあると思います。

 

でも、自分のネガティブな感情を嫌えば嫌うほど、隠そうとすればするほど、判断する自分が出てきてしまいます。

 

その判断をしないのではなくて、いったん「脇に置く」とよいと思います。

自分の感情をイメージして、手でもって、脇に置く。

 

そして、認めてしまえば、とても楽になると思います。

「そんな自分いたー!」って

 

 

最初は「こんなことやって効果あるのかな?」って疑ってしまうこともあるかもしれません。

 

でも、「いいよ。いいよ。それでいい。効果あるのか?って疑ってもそれでいい。」

 

って言ってあげてみてください。

どんな自分の感情も否定しない。

 

そうしたら、自分の感情を抑えつけるために使っていた、大きなエネルギーを、もって自分がやりたいこと、好きなことに使えます。

 

人生がきっともっと楽しくなります。

 

自分のなかにわいてくる全ての感情に

「いいよ。いいよ。それでいい」って言ってあげましょう。

 

それを習慣化して、楽しく生きていきましょう。

 

 

 

今の人生を楽しむ

「私たちは今を生きてはいない。将来を生きたいと願っているだけだ。そして、常に幸せになるのを待ち望んでいる。だから今、幸せでないのは当然のことなのだ」

 

これは、哲学者パスカルの言葉である。

 

幸せを求め続けている限り、今を幸せと感じることは難しいくなる。

「〇〇ができたから、手に入ったから幸せ」

という考え方でも、すぐに次の問題ができあがる。

 

幸せってなんなんだ??

 

という風に、思う人も多いと思うし、自分自身も完全な答えが見つかっているわけではない。

ただ、毎日「幸せだなぁ」って感じることが大切だと思う。

 

「たいていの人はなろうとした分だけ幸せになれる」

エイブラハムリンカーンは言った。

 

「幸福は純粋に内的なものだ」

心理学者のマシューNチャペル博士は語った。また、

「それは外的な対象によてではなく、環境とは無関係に、自らの活動が生み出す思考や態度によってもたらされる」とも。

 

今までの私は

「職場の人間関係がよくて幸せ」

「妻も娘もいてくれて幸せ」

「毎日おいしい食事ができて幸せ」

「きれいなマンションに住めて幸せ」

「休みに好きなことをやれる時間がとれて幸せ」

 

というように、思うことで、幸せを感じてきた。

 

しかし、もちろんそのように思えない時期も人生にはあった。

 

私が今の会社に入社した頃は毎日が失敗の連続だった。

同期の新入社員と比較され、上司からは否定され続ける毎日。

私の心はどんどん落ち込んでいって。「幸せ」なんて全く思える状況ではなかった。

 

そんな時に、この状況を変えたい。

と思うようになり、自己啓発書を読むようになった。

 

その本の中に

「自分以外によって傷つく人はいない」

と古代ギリシャの哲学者ディオゲネスは言っているという言葉がある。

 

また、「私を傷つけられるのは私だけだ」と聖ベルナールも言った。

 

自分の反応を決めているのは自分だけだ。

なんにでも反応する必要はない。

リラックスしていれば、傷つかずにいられるのだ。

 

この言葉に当時の私はとても救われた。

毎日、いくら否定されても、

「自分を傷つける必要はないんだ」

って少しずつ思えるようになり、自分で自分を肯定できるようになったのだと思う。

 

そこから、自分がなりたい自分を毎日イメージして、変わっていったのかもしれない。

 

まずは、自分に自信を誰もが持ってほしい。

自信がない方を見るたび、そのように思う。

 

あなたは、ただあなたでしかなく、ありのままでよいのだから。

 

 

 

 

現代の哲人Dr.ディマティーニによる『マンインドフルネスの本質』

あなたはあなたでしかない。

 

10年ほど前に読んだ本を昨日読み返してみた。

そこには、こんな言葉があった。

 

あなたは優れてはいない。

あなたは劣ってもいない。

あなたはただ、あなたでしかない。

 

この言葉に、当時の自分はとても救われた。

なぜなら、自分は他の人よりもとても劣っていると、信じ込んでしまっていたからだ。

 

自分はただ、自分でしかない。

優れてるも、劣っているも、ただ自分が勝手に決めたこと。

なにが良いとか、悪いとかもない。

そんなことが、大切だなって思う。

 

この前に見た自己啓発の動画では、

「心は聴いた言葉で作られる」

ということを教わった。

それも、本当にその通りだと思った。

その時に人に対して前向きな言葉をいつもかけたいと思うようになった。

 

誰がに、ネガティブな言葉をかけられれば、嫌な気持ちになるし、ポジティブな言葉をかけられれば、明るい気持ちになる。

当たり前のことかもしれない。

 

でも、そこで良い悪いもないし、自分は自分であるということを再認識すると良いのではないかと思っている。

 

なぜなら、良い、悪いはその人の判断でしかない。

だがら、「そのように判断した。感じたんですね」というように、冷静に受け取ることができるのではないかと思う。

 

最近会社の上席と面談させていただく機会があった。

上席の方は

「失敗した理由はなんだ?他の場所はもっと良かったぞ」という言葉をかけてくれた。

 

私は、あまり失敗したと思ってなかったので、まずそこで、判断の基準の差に驚いた。

他と比べられることも、あまり好きでないので、嫌な気持ちになった。

だが、そこで身構えることはなく、上席の質問の意図を考えるようにした。

 

おそらく、他と競わせてやる気を出させようとしてくれていると思うようにした。

 

そのため、身構えるのをやめて素直に

「ご期待に添えることができるように努力します。」とお伝えすることができた。

 

その後の自分の感情もとても穏やかだった。

 

たぶん、10年前はおそらく恐れに囚われていたと思う。

冷静に、ただ、自分は自分である。ということを毎日また認識していきたいなって、久々に本を読み返して思った。

 

また、自分が劣ってしまっていると思い込んで苦しんでいる方がいたら、少しでも気持ちがらくになったら嬉しいなと思ってこの場に書かせていただいた。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

子供との関わり方について思うこと。

 

娘が生まれたのは、3年9ヶ月前のことで、夏に4歳になる。

昨日の娘は私に

「大きいディズニーランドに行きたい」

と言ってきた。

「大きいってなんだ?」

と私と妻で笑っていた。

保育園の友達が、ディズニーランドに行ってきたらしく、影響を受けたそうだ。

 

我が家は未だに一度もまだディズニーランドに娘を連れて行ったことはない。

理由は「混んでて大変」という当たり前のものである。

私は何度か連れて行こうかという提案を嫁にしたが、「遠いし、混んでるから無理だよーー。」という言葉でかき消されてきた。

 

しかし、今回は娘の意思で

「行きたい」という言葉が出てきたことにより、大きく親の気持ちが変わった。

 

また、4歳から子ども料金がかかることもあり、3歳のうちに連れて行く。

 

という目標ができた。

ディズニーランドへの道のりは、近くの駅からバスで2時間くらいで行ける。

 

着いたら、娘はどんな反応をするのだろう?

無茶苦茶はしゃいだりするのだろうか。

なにも、教えてないのに急に

「ミッキーのお家行きたい!」

とか喋り出すのだろうか?

娘の喜ぶ姿を想像するとわくわくする!

 

大人になってはじめてのことがあまりなくなるから、わくわくするって感情を少し忘れてた。

 

でも、子どもにとってはこれからはじめてのことが沢山あるし、それを知ったらわくわくするんじゃないか、ってことを考えるとわくわくする。

 

自分の子どもの気持ちになって、物事を考えてあげられる親になりたい。

 

自分がこんな風に育ってほしいっていう、気持ちもあるけど、なにも押し付けたくない。

 

娘は娘の自立した人生を歩んでほしい。

そのための支援がしたい。

 

いつも意識していることは、娘が「やりたい」といったことを存分にやらせるということだ。

今朝は「自分で卵焼きをつくりたい」と話してくれた。

 

計量カップに卵を割って入れる姿をみて、

「卵2つわれたね。」とありのままの事実を伝えた。

 

どんどんチャレンジしてできることが増えてほしい。

そのように心から思う。

 

最近コーチングの研修で学んだことは、

「ありのままを受け容れることも承認になる」ということだ。

 

「そうなんだ。」って受け容れる。

それだけで、相手は認めてもらえているという気持ちになる。

このことを自分の身を持って感じた。

 

いままでの自分は

「そうだよね。辛いよね」というように、共感をすることがほとんどだった。

共感すことで相手の悩みが少しでも楽になればいいなと思っていた。

 

しかし、「そうだよね」という風に受け入れる「共振」という形でも、十分に人を承認していることになるということを学ぶことができた。

 

「すごいね!」「えらいね!」ってほめなくてもいいのです。

 

「チャレンジしてくれて、お父さんも嬉しい」ってたとえ失敗した時でも声をかけられるような父親でありたい。

 

チャレンジして、成功した時も

「感動した!ありがとう!」って伝えたい。

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ものの見方

 


当たり前のことなんてひとつもないって

いつもスーパーに置いてあるはずのトイレットペーパーがないだけで思った。

 

いつものが気に入っていたが、別のものを買うことにした。

 

何年か前の自分は、買い物がめんどくさいと思っていた。

早く済ませて、自分がやりたいことに時間をかけたいと思っていた。

 

でも、考え方を変えた。

こんなにも沢山の豊かな食べ物が、お店にはいつも揃っていて、すごく有難いと思うようにした。

 

例えば、いちごひとつにしても、栃木県の農家が育てたものが、トラックで運ばれて、このスーパーに辿り着く。

 

当たり前のことかもしれないが、それがたった500円くらいで、いただくことができる。

 

それって凄いことだって、思う。

 

震災が起きた時、流通が止まって、コンビニにもなにも並んでない時があった。

 

人は無くなってから気がつくこともあるけど、普段からちょっとしたことに感謝の気持ちが持てると素敵だなと思う。

 

「ありがとう」

って言われると嬉しい。

だから、ありがとうって言われたら

「嬉しい」

って伝えることが、大切だと思った。

 

私は教育関係の仕事をしている。

昨日は中学2年生の生徒と話をしていた。

本人は家業を継いで、将来歯科医になりたいと夢を語ってくれた。

それ以外にも、最近のテストの手応えや本人の勉強に対する考え方をたくさん聴かせてもらった。

その生徒は

「先生と話せて楽しかった」といってくれた。

そんなことを言われるのはあまりないから、

「そう言ってもらえると嬉しい」

って笑顔で伝えた。

 

自分の口から、話をしてすっきりして、今後の人生のビジョンや課題が明確になるって、素晴らしいことだと思う。

 

コーチングの理論を学び、実戦してまだ間もないが、本当にそのように思う。

 

関わりを持てた人が、自ら答えを見つけて、それに向かい、目的を持って生きられるように、サポートできる存在でありたいと思う。

 

今日も一人一人のために具体的になにができるか。

考えて行動に移していこう。

 

 

 

 

 

 

「迷い」と「決断」自分が納得できる生き方とは

 

 

「自分の人生の舵は自分で執る」

そんな風に考えられるようになったのは、ごくごく最近のことだ。

 

人は誰でも、誰かと一緒に生きている。

それが親だったり、友人だったり、会社の同僚だったり、その関係の中で今後の道を迷う。

そして、決断を迫られる。

どっかで妥協して決断をしてしまう。

そんなことは日常茶飯事であると思う。

 

自分も自分で決めているつもりでも、無意識に「言われたから、仕方なくやっている」そんなことももちろんある。

 

でも、自分の中で考えを整理して、しっかりと納得できる生き方をしたい。

そんな風にいつも考えている。

後で、「あの時こうしておけばよかった」なんてもう思いたくない。

「その時の自分がそうしたかったんだから、それでよかったんだ。」

と過去の自分を認めたい。

 

自分のせいや他人のせいにして、自分が迷ったことに対して出した決断を、後悔なんてしたくない。

 

これからもそんな気持ちで、今のこの瞬間を大切にして生きていきたい。

 

今まで生きてきた中で「迷ったこと」とどんな気持ちで「決断」をしたかについて記しておきたいと思う。

その時は正直、「あの時こうしていれば」と思ったことも何回もあった。

「そうしたら、どんな人生だったのだろう。」と思うことも何回もあった。

 

柔道との出会い・中学生の頃

私は中学に入学してから柔道を始めた。

私が通学していた中学校は全員が何かの部活に入ることが義務付けられていた。

私は小学生まで、サッカーをしていたが、足のサイズが大きくなりすぎていた。

中1で既に足のサイズが30㎝となっていた。

「スパイクがない」という理由で、止む無くサッカーをやめることにした。

バスケットのクラブも所属していたことがあったので、バスケット部に入ることも考えた。

バスケットシューズはあったのだが、その時に身長もすでに170㎝以上あったので、「身長が伸びすぎて2mくらいになったらどうしよう。」

というように悩んでいた。

そんな時に、柔道に出会った。

初めて、柔道部の練習風景をみて、軽々と人間を投げる先輩たちの姿をみて

「面白そう」とその時の自分は思った。

裸足ということもあり、友人と入部を決めた。

顧問の先生の素晴らしい指導と、恵まれた仲間達と練習に励む日々だった。

嫌な先輩やいじめなどもあったが、その苦労もみんなで乗り越えてきた。

2年生の秋、新人戦の団体戦のレギュラーとして出場した県大会で、私たちは優勝した。

その時の私は、決勝戦では負けた。周りの仲間が勝ってくれたおかげで優勝ができた。

それからも、一生懸命全員で練習を続けた。

でも、毎日の練習が辛いと感じたことはなかった。

顧問の先生がいつもほめてくれるおかげで、楽しく練習をすることができた。

名コーチに出会えたおかげだといつも思っている。

夏の総合体育大会でも、私たちは団体戦優勝を決めた。

その時の私は、1本勝ちで勝利を収め、大きくチームに貢献することができた。

全員で喜び合った。

今でも、一生の思い出だと思っている。

 

次の日の個人戦では、私は1回戦で負けた。

顧問の先生に「お前はまだまだ高校いってからだ!」と言われた。

全国大会に出場した私たちは予選で敗退した。

 

高校時代

私はさらに高みを目指すために、他県の柔道が強い高校に進学をした。

そこでは、中学の練習とは比較にならないくらい、厳しい稽古が待っていた。

柔道とは強さが全てであるということを、改めて感じさせられる日々だった。

厳しい稽古を先に積んでいる先輩に冷静に考えれば、勝てるはずがない。

いまは、冷静にそう思えるのだが、あの頃は「自分が弱い」と思い込み、自己肯定感が全くなくなってしまっていた。

 

その頃の自分に改めて「強いものに挑み続けるから自分も強くなれる」と言ってあげたい。

 

毎日、つらい日々が続いたが、「やめたい」とは思わなかった。

自分が行きたいと思っていった高校であり、続けるのが当たり前だと思っていた。

 

新たに出会った仲間達と厳しい練習を乗り越え、私たちは大きな絆を築いていった。

仲間が一緒でなかったら、絶対に乗り越えられなかったと改めて、今そう思う。

高校時代の私は、試合で安定した結果が出せず、監督の信頼をいまいち得られていたかった。

そのため、団体戦のレギュラーに抜擢されることもなく、後輩にレギュラーを譲っているような状況だった。

でも絶対に譲れない目標があった。

「個人戦で県大会で1番になる」それだけを考えて毎日、練習をしていた。

その気持ちがあったから、朝も放課後も夜も仲間達と一緒に練習に取り組めた。

「全員で全国大会に行くんだ」そんな気持ちで当たり前に繋がっていた。

 

3年生になった私は、レギュラーの仲間にも負けなくなっていた。

最後の夏の大会で団体戦のメンバーに抜擢してもらうことができた。

団体戦で試合に出場できるのは5人だが、補欠が2人いの枠があり、補欠としてメンバーに登録してもらうことができた。

主将を休ませるために、私は1回戦や2回戦に出場し、役割を果たした。

どちらも1本勝ちを収めることができた。

そこで、私は主将と交代をし、決勝戦までチーム勝ち抜いていった。

決勝戦ももちろん私は出場したい気持ちがあったが、それは叶わなかった。

仲間達が見事に勝利を収め、優勝が決まった瞬間に私は泣いた。

主将も、監督に抱き着いて泣いた。

試合後に全員で撮った記念写真はいまでも、宝物だと思っている。

 

次の日の個人戦で私は2回戦で敗退した。

残念ながら、県大会で個人で優勝するという目標を果たすことはできなかった。

 

全国大会に進んだ私たちは、予選で敗退した。

残念ながら補欠の私には出場の機会はなかった。

しかし、出場させてもらえる機会があるかもしれないという期待から、一生懸命に最後まで練習をしていた。

全てが終わったことで、私は目標がなくなり、燃え尽きてしまった。

 

「迷い」と「決断」

部活動から引退した3年生は、今後の進路を決定することになった。

柔道を続けるか辞めるか。その選択は今までの人生でも大きく迷ったところだった。

当たり前のように続けることを選択する仲間が

「お前もやるだろ?」と当たり前のように誘ってきた。

私は正直なところすごく迷っていた。

その頃の自分は目標が見えずに、燃え尽きてしまっていた。

「つらい練習の先に、これから柔道を続けることによって何があるのか?」

「また、大学に入れば、さらに厳しい練習があり、上下関係もあるだろう」

「今まで柔道の練習ばかりだったから、普通の人の生活をしていみたい」

そのような思いが、何度も心の中で廻った。

 

しかし、仲間達から「一緒に続けてほしい」という気持ちが、とても熱く伝わってきた。私の考えとは全く違い、彼らの中では「続けたい」という気持ちが当たり前のようにあった。

だが、もちろん私と同じように「もうやめたい」と考えている仲間もいた。

「やめるやつ」と「続けるやつ」という括りで分裂をしてしまうような雰囲気が私は嫌だった。

 

私は、自分が本当に続けたいのかの気持ちを見極められないような状態で、仲間達に引っ張られるような気持ちで、続けてみようと思うようになった。

 

私は「大学でも柔道を続けたいと考えている」と母に相談をした。

しかし、そこでの母の答えは

「大学ではアルバイトをたくさんしなくは、ダメ。お金がかかりすぎる。本当にやりたいなら奨学金でも借りて後から自分で返しなさい。」

というものだった。

今、思えば、当たり前の答えだったと思う。

 

私には大金を借りて後から返す自信なんてなかった。

そこまでして、続けたいとも思えなかった。

仲間には「家庭のお金の都合で、できない。すまない」と伝えた。

仲間はとても悲しそうだったが、

「それなら、仕方ないな。」理解をしてくれた。

 

この頃は、結局、逃げたとばかり自分に感じていた。

借金すれば、できるけれども、そこまではできない。

結局やめたいだけなのに、都合がよい口実を話して、やめた。

そんな自分に罪悪感を感じていた。

 

気持ちが落ち込んだ期間が続いた。

今まで、情熱の全てをかけた柔道をやめるということを受け容れることに対して時間がかかった。

 

だが、しばらくして、大学では音楽活動がしたいと自分で決断をした。

そのために、毎日ギターの練習をした。

柔道での情熱をその分音楽に注ごうと思った。

 

大学に入学し、自分で入りたい音楽サークルを決断した。

サークル活動を通して、たくさんの仲間と巡り合うことができた。

そこで出会った仲間達とも、定期的に会う機会を設けている。

 

この前、高校の柔道部の仲間に会いたくなって連絡をとった。

柔道を続けていた仲間は、警察官になり、柔道を教える仕事をしていた。

柔道をやめた仲間はSEになっていた。

 

ひたすら、当時の思い出話をした。自分が覚えていないことも、しっかりと覚えてくれていたり、自分が普段忘れていることも思い出して、話した。

 

それが、すごく楽しかった。

 

道はひとそれぞれで、なんにも間違ってはいないし、正しくもない。

 

ただ、その時、その場所で、一緒に生きてくれる仲間がいた。

 

それ自体がとても素晴らしい時間で、愛おしいものだと感じられたらよいと思う。

 

そんな風にあとで人生を振り返った時、自分で思えるように、生きていきたい。

 

 

頑張りすぎてしまう方へ

 

 

頑張りすぎてしまって疲れてしまうようなことはありませんか?

 

昨日、同僚の女性の方の話をしっかりと聴かせていただく、機会がありました。

その方は「人間関係でとても悩んでいる」

と話をしてくれました。

 

その人が悩んでいる相手の話を聴いていくと、「その人を変えていきたい」という意思が伝わってきました。ですが、「全く変化がなく、その人がとてもストレスになっているので、少し距離を置きたい」ということも自分から話をしてくれました。

 

悩みの対象となる方は、「周囲に迷惑をかけているが、直そうとしない」そのため、いつも自分が直してもらうようにしている。

相手の話をまずは受け入れたうえで、アドバイスも与えている。

ということでした。

 

しかし、全く改善が見られない。

そのため、日々悩んでいて、どうしたいのかもう自分でもよくわからなくなってしまったそうです。

 

今まであったことを、ひたすら頷いて、私は話を聴くことに徹しました。

  • 集中して聴く。相手に意識を向ける。
  • 判断を脇に置く。自分の良し悪しなどの感情を伝えない。
  • 沈黙を大切にする。相手に質問をしたあと、考える時間をしっかりと与える。

それを意識して話を聴いていくと、自分から、どうしたいのか、今後どうなりたいのかを話しくてくれていました。

 

私からした質問は

「今まで、その方にどんな関わり方をしてきたのですか?」

「今後、どんなふうに接したいですか?」

 

というくらいの質問しかしませんでした。

 

その中で、同僚の女性は「自分が平和になりたい。」という答えを自分の中から出しました。

 

そこで、

「平和と感じるためには、どんな風に関わりたいと思いますか?」と聴いてみました。

 

同僚の女性は「距離を少しおきたい。今までは自分が関わりすぎていた。それが、かえってその人のためにもよくなかったのかもしれない。距離をおけば、相手も変わるかもしれない。自分の心の平和を守るためにも、今後はその人と時間をとるときは10分以内にするというルールを決めたい。今までは30分から60分は時間をかけてしまうので。」

と自分の中で答えを見つけて、話してくれました。

 

とてもすっきりした表情を彼女はしていました。

自分の考えを自分で整理して、話すということは改めて、大切だと思いました。

 

当たり前のことかもしれませんが、人間は自分のことに全く気が付かない生き物だと改めて感じました。

でも、話を聴いてあげることで、自分で答えを出せる生き物でのあると思います。

 

一般的な会話は、

「もっとこうしたら?」(アドバイスする)

「それはよくないよ。」(判断する)

というようなことを言ってしまいがちです。

 

それをしなくても、人間は答えを出すことができます。

 

だって、相談したいと思っている時点で、その人が

「自分と向き合っている」のですから。

 

無意識に頑張りすぎている方。

大人だから、会社の人間関係に疲れてもしょうがない。

そのように、思う方もいるかもしれません。

 

でも、自分が納得のいくような関わり方は必ずあると思います。

 

自分なりの考え方を整理できるように、信頼できるかたにゆっくりと話を聴いてもらう機会を持たれるとよいと思います。

 

「アドバイスしないで、ただ、聴いてほしい。」

そんなリクエストがあったっていいじゃないですか。

 

聴いてもらうだけで人はすっきりします。

 

その代わり、自分も相手の話を聴いてあげるようにしましょう。

 

テーマは何でもよいのです。

「今後の人生について」「悩み」「愚痴」「不平不満」

聴いてもらう側からは

「今後はどうしたい?」というような前向きな質問をしてもらうだけです。

 

それで、初めて人は自分で答えを改めて探します。

本当は自分がしたいことを

自分の口から言葉にして話すことで、改めて確認することができるのだと思います。

 

それを忘れずに、実行すれば、解決してすっきりする。

 

 

「人は自分の中に答えを持っている」んですね。

 

 

 

 

子育てで悩んでいる方へ


「子どもと喧嘩になってしまう。」

そのような方は、とても多いような気がします。

職業柄そのような相談をいただくことがたくさんありました。

 

どうして、子どもと喧嘩になってしまうのか?

原因を聞いていくと、

「つい、怒ってしまう」

という母親が多いです。

 

人間の意識のコントロールしている部分は全体の5%で95%はコントロールができない無意識の層らしいです。

 

だから、つい、怒ってしまい、その後後悔する。それも当然のことですね。

 

自分が悪いのでは、ありません。

そこで、悲観的になる必要はありません。

ただ、自分の気持ちをコントロールできていないだけです。それを受け入れると心が楽になると思います。

 

またやってしまったと、後悔することはありません。

 

次から、試してほしいと思うことがあります。

怒りがこみ上げてきたら、自分が今、どんな表情をしているか、客観的に想像するということです。

 

怒ってもいいのです。

怒っていると認識することで、その後の行動を変えることができます。

 

そこで、もしネガティブな言葉が出そうになったら、

言い換えることを意識してください。

 

「早くしなさい!」

言い換えると

「○分までに遊ぶのは終わらせてくれると嬉しい。」

 

「食器を片付けなさい!」

「お手伝いしてくれると嬉しいな。」

 

というふうに、自分の感情を伝えていきます。

 

子どもに気分が悪くなることをされてしまったとは、

「お母さん悲しい」です。

「バカヤロー!」は子どもの心を閉ざす言葉です。

なぜ、そのようなことをしたのか、素直に話してくれなくなるでしょう。

 

よく、相談に乗っていると、自分も親に厳しく育てられた。

今では感謝している。だから、子どもにも厳しくしたい。

そう考えている方もおられます。

それはそれで、とても素敵なことだと思います。

ただ、大人になって本人が気がついたら良いと思いますが、そうならなかったらそれこそ悲しいですよね。

 

「子どもは親の言った通りに育ちます」

 

ネガティブな言葉を受け続けた子どもは自信がなくなり、自己肯定感が失われていきます。

無限の可能性を持った我が子の可能性を自ら無くしてしまうこともありえるのです。

 

乙武国広さんの母親は手足のない我が子を見て

「なんて可愛い子なの!なんでもあなたは出来る子よ!」

と本人に言い続けていたそうです。

 

その母親の愛情があったから、立派に自立した大人に成長したのだと思います。

 

子どもは自分のいうことなんて聞かなくて当たり前です。

だって、人間は誰もコントロールすることなんてできないのですから。

 

自分もコントロールされて、なにかやらされるのは辛いですよね。

 

本人が本当にやりたいこと、考えていることを引き出してあげましょう。

「ゲームがやりたい!」

そう答えるかもしれません。

 

そこで、

「勉強しろ!」ではなく。

 

「何時までやる?そのあとはなにする?」

です。

 

子どもに考えさせて、引き出しましよう。

宿題が残っていて、なんとも思ってない場合は

「お母さんがっかり、頑張ってほしいっていつも思ってるよ」

と声をかけてあげましょう。

 

子どもはそこで気がつくはずです。

大好きなお母さんを心配させてしまった。

まずいな、頑張ろう。って思ってくれるはずです。

 

そう信じましょう。

自分の子どもを信じてあげることが、あなたも信じてもらえることになります。

 

信じあえれば、きっともう、感情的に怒るようなことも少なくなると思います。

 

子どもが理解しがたいことを何かしたとしても、

「きっとあの子なりのなにか理由がある」

 

そんな風に思えたら素敵だなと思います。

 

ぜひ、子どもとのコミュニケーションを楽しんでみてください。

 

応援しております。

 

 

 

ブログを始めたきっかけ

お題「ブログをはじめたきっかけ」

 


本日は、そもそもブログを始めたきっかけについて記載させていただきます。

私は、教育関係の仕事をしております。

その中で半年ほど前、社内で研修を受けさせていただく機会がありました。

研修の内容は「教育コーチング」というものでした。

趣旨としては、教え込む教育ではなく、自ら考えて行動を促す子どもを育てる。

そのために、気づきを与えられるようなコーチをして子ども達のそばに寄り添うというものです。

 

私はこの考え方に、とても感銘を受けました。

教育コーチの信念としては

  1. 人はそれぞれ。
  2. 人は自分の中に答えを持っている。
  3. 人は育とうとする生き物だ。

という部分があります。

 

それぞれが違って当たり前。それを受け入れる。

自分の中に持っている答えを引き出してあげる。

消極的に見える子どもでも本当は育ちたくて、「邪魔になっているものがある」と考える。

ということです。

 

私は職業柄、たくさんの母親・子どもと接してきました。

その中で、もっとも多い相談は

母親の「子どもが言うことを聴かない」「勉強しない」というものでした。

私はその都度、「私のところに任せてください」とお伝えしていました。

 

しかし教育コーチングという考え方に出会って、それをやめることにしました。

「根本的な親子の関係を解決することができる」

 

そう思ったからです。

 

母親から子どもに対する声のかけ方により、子どもの人生は大きく変わる。

そのように常々感じます。

「なんで勉強しないの!早くしなさい!塾やめさせるわよ!」

と怒鳴られて、やる気になる子はあまりいません。

 

子どもから「親が勉強の邪魔してくる」という相談を受けたことがあります。

「勉強を始めようと思っていたのに、怒鳴られてやる気がなくなった」

というのです。

 

とても悲しいことだと思います。

 

母親としては、我が子に勉強をしてもらって、将来のことを真剣に考えて、そのような言葉をかけています。

それももちろんわかります。

しかし、子どもに気持ちが伝わらずに、結果としてやる気がなくなってしまっている。

 

私は、そのような親子関係を信頼関係で強固なものに変えられるように、コーチングの考え方、行動を学ぶことにしました。

 

そして、学んだことを伝えていくことで、人を幸せにしたいと思うようになりました。

 

自分自身が、学び、行動し、それを人に教える。それが自分が一番身につく方法だと思います。

最近読んだ書籍の「アウトプット大全」にもやはり、そのように記されていました。

 

コーチングを通じて「人を幸せにできる存在でありたい」と思えるようになりました。

 

コーチングを通してのみならず、今までの人生の経験で生きてきた中で、昔の自分のように困っている方たちに、向けて発信ができればよいなと考えています。

 

私自身も10代の頃からたくさんの悩みをかかえて生きてきました。

「自分なんてどうせだめだ。」そう思い込んでふさぎ込んでしまった時期もありました。

 

しかし、様々な書籍に出会い、様々な考え方を学びことで、「よい考え方だな」と思うようになりました。

本当に、少しずつですが、実践に移す中で自分に自信をつけていきました。

 

「人間は習慣を変えていくことで大きく、変わることができる」

 

そのように実感しました。

 

いま、人生に悩んでいる方いたら、少しでも力になれたら幸いです。

お気軽にご相談ください。

 

 

 

 

 

 

人とうまくコミュニケーションがとりにくい方へ

 

恥ずかしい。

めんどくさい。

そのような心理的な負担から、人と接すること自体が億劫になってしまっている方もおられるかと思います。

でも、本当は色々な人と仲良くなりたい。そのように感じている方もいるのではないでしょうか?

 

人間関係の基本は、まずは挨拶です。

相手の目を見て、挨拶を自分からすること。

それだけで、相手は「自分を承認してくれている」と感じます。

 

そこに、挨拶の前に相手の名前を加えるとさらによいと思います。

「〇〇さん、こんにちは!」というようにです。

笑顔で元気に、そのように挨拶されるとその人のことを好きになると思います。

 

もう、15年ほど前の話になりますが、私がパチンコ店でアルバイトをしていた時の話をさせていただきます。

私は学生で、アルバイトが初めての経験でした。

社員の方でいつもにこにこしていて明るい姫さん(男性)という方がいらっしゃいました。

姫さんに初めてお会いした時に、すごく笑顔で近くに寄ってきてくれて、耳元で「〇〇おはよう!」と言ってくれたのを覚えています。

(パチンコ店はうるさくて耳元でわざわざ話さないと聞こえないので。そんな状況にも関わらず、挨拶をしてくれたことが嬉しかった。)

姫さんは毎回、会うたびに同じように挨拶をしてくれました。

他の方にも全員にしていました。

とても好かれている方でした。

私は、その頃はただ照れ笑いしているだけでしたが、その頃から見習っていたらよかったと思いました。

 

最初は、相手の名前を呼んで挨拶することが恥ずかしいと思うかもしれません。

でも、相手は必ず喜んでくれます。

喜んでくれることは嬉しいことだと自分は思います。

 

お互いに、笑顔で挨拶ができたら、「今日も暑いね」など天気の話をしていくと話がしやすいと思います。

天気は誰にでも共通のことだからです。

 

その後は相手が話しやすそうなことをどんどん聴いていくことが一番だと思います。

初対面の方なら例えば、出身地。

意外と近かったりするとそれだけで盛り上がりますね。

あとは、仕事。

それも聞いたら、さらに広げるように興味を持って聴いていく。

「具体的にどんなことをしているの?」

「それってすごい大変じゃない?」とか、相手にどんどん話をさせていきます。

 

あとは、相手が興味や関心があることを聴くとよいと思います。

「最近、興味や関心あることってなに?」というようにそのまま。

 

少し前にその質問をそのまま初対面の方にしたら、嬉しそうに

「旅が好きなんです!」と答えてくれました。

私も旅が好きだったので、最近どこいったとか、今後どこに行きたいとか話をしているだけでとても楽しかったです。

 

私が、基本的に意識をしているのは、「全部相手に話をしてもらう」です。

その上で共通する部分があったら、「自分も!」ということです。

 

自分の話は聴かれたらすることです。

話を遮ったり、自分の判断を伝えたりせず、相手がすっきりするまで話をしてもらいたいと思って接していきます。

 

最近学習したコーチングの理論に傾聴の三要素というものがありました。

 

①集中して聴く。

②判断を脇に置く。

③沈黙を大切にする。

の3点です。

 

①については、意識を相手に向けて、集中するということ。

②については、聴いているうちに出てくる、自分の判断をその都度、脇におく(良し悪しとか、正しいとか間違ってるとか好きとか嫌いとか思わない)

③相手が考えているときに、こちらからしゃべらずに、しっかりと待つ。

長い場合も「ゆっくりで大丈夫ですよ。」と声をかける。

 

とても、よい考え方だと思います。

 

ぜひ、意識してみてください。

相手の話を最後まで聴くことはとても喜ばれることです。

喜ばれることができるのはやはり、嬉しいことだと思います。

 

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