人生を変えるBlog ~幸せになりたい方へ~

人生をよりよく生きるために、日々学んでいきたいと考えています。その中で、自分が感じたことを記していきます。人生を変えたい方、幸せになりたい方のお役に立てたら幸いです。よろしくお願いいたします。

「迷い」と「決断」自分が納得できる生き方とは

 

 

「自分の人生の舵は自分で執る」

そんな風に考えられるようになったのは、ごくごく最近のことだ。

 

人は誰でも、誰かと一緒に生きている。

それが親だったり、友人だったり、会社の同僚だったり、その関係の中で今後の道を迷う。

そして、決断を迫られる。

どっかで妥協して決断をしてしまう。

そんなことは日常茶飯事であると思う。

 

自分も自分で決めているつもりでも、無意識に「言われたから、仕方なくやっている」そんなことももちろんある。

 

でも、自分の中で考えを整理して、しっかりと納得できる生き方をしたい。

そんな風にいつも考えている。

後で、「あの時こうしておけばよかった」なんてもう思いたくない。

「その時の自分がそうしたかったんだから、それでよかったんだ。」

と過去の自分を認めたい。

 

自分のせいや他人のせいにして、自分が迷ったことに対して出した決断を、後悔なんてしたくない。

 

これからもそんな気持ちで、今のこの瞬間を大切にして生きていきたい。

 

今まで生きてきた中で「迷ったこと」とどんな気持ちで「決断」をしたかについて記しておきたいと思う。

その時は正直、「あの時こうしていれば」と思ったことも何回もあった。

「そうしたら、どんな人生だったのだろう。」と思うことも何回もあった。

 

柔道との出会い・中学生の頃

私は中学に入学してから柔道を始めた。

私が通学していた中学校は全員が何かの部活に入ることが義務付けられていた。

私は小学生まで、サッカーをしていたが、足のサイズが大きくなりすぎていた。

中1で既に足のサイズが30㎝となっていた。

「スパイクがない」という理由で、止む無くサッカーをやめることにした。

バスケットのクラブも所属していたことがあったので、バスケット部に入ることも考えた。

バスケットシューズはあったのだが、その時に身長もすでに170㎝以上あったので、「身長が伸びすぎて2mくらいになったらどうしよう。」

というように悩んでいた。

そんな時に、柔道に出会った。

初めて、柔道部の練習風景をみて、軽々と人間を投げる先輩たちの姿をみて

「面白そう」とその時の自分は思った。

裸足ということもあり、友人と入部を決めた。

顧問の先生の素晴らしい指導と、恵まれた仲間達と練習に励む日々だった。

嫌な先輩やいじめなどもあったが、その苦労もみんなで乗り越えてきた。

2年生の秋、新人戦の団体戦のレギュラーとして出場した県大会で、私たちは優勝した。

その時の私は、決勝戦では負けた。周りの仲間が勝ってくれたおかげで優勝ができた。

それからも、一生懸命全員で練習を続けた。

でも、毎日の練習が辛いと感じたことはなかった。

顧問の先生がいつもほめてくれるおかげで、楽しく練習をすることができた。

名コーチに出会えたおかげだといつも思っている。

夏の総合体育大会でも、私たちは団体戦優勝を決めた。

その時の私は、1本勝ちで勝利を収め、大きくチームに貢献することができた。

全員で喜び合った。

今でも、一生の思い出だと思っている。

 

次の日の個人戦では、私は1回戦で負けた。

顧問の先生に「お前はまだまだ高校いってからだ!」と言われた。

全国大会に出場した私たちは予選で敗退した。

 

高校時代

私はさらに高みを目指すために、他県の柔道が強い高校に進学をした。

そこでは、中学の練習とは比較にならないくらい、厳しい稽古が待っていた。

柔道とは強さが全てであるということを、改めて感じさせられる日々だった。

厳しい稽古を先に積んでいる先輩に冷静に考えれば、勝てるはずがない。

いまは、冷静にそう思えるのだが、あの頃は「自分が弱い」と思い込み、自己肯定感が全くなくなってしまっていた。

 

その頃の自分に改めて「強いものに挑み続けるから自分も強くなれる」と言ってあげたい。

 

毎日、つらい日々が続いたが、「やめたい」とは思わなかった。

自分が行きたいと思っていった高校であり、続けるのが当たり前だと思っていた。

 

新たに出会った仲間達と厳しい練習を乗り越え、私たちは大きな絆を築いていった。

仲間が一緒でなかったら、絶対に乗り越えられなかったと改めて、今そう思う。

高校時代の私は、試合で安定した結果が出せず、監督の信頼をいまいち得られていたかった。

そのため、団体戦のレギュラーに抜擢されることもなく、後輩にレギュラーを譲っているような状況だった。

でも絶対に譲れない目標があった。

「個人戦で県大会で1番になる」それだけを考えて毎日、練習をしていた。

その気持ちがあったから、朝も放課後も夜も仲間達と一緒に練習に取り組めた。

「全員で全国大会に行くんだ」そんな気持ちで当たり前に繋がっていた。

 

3年生になった私は、レギュラーの仲間にも負けなくなっていた。

最後の夏の大会で団体戦のメンバーに抜擢してもらうことができた。

団体戦で試合に出場できるのは5人だが、補欠が2人いの枠があり、補欠としてメンバーに登録してもらうことができた。

主将を休ませるために、私は1回戦や2回戦に出場し、役割を果たした。

どちらも1本勝ちを収めることができた。

そこで、私は主将と交代をし、決勝戦までチーム勝ち抜いていった。

決勝戦ももちろん私は出場したい気持ちがあったが、それは叶わなかった。

仲間達が見事に勝利を収め、優勝が決まった瞬間に私は泣いた。

主将も、監督に抱き着いて泣いた。

試合後に全員で撮った記念写真はいまでも、宝物だと思っている。

 

次の日の個人戦で私は2回戦で敗退した。

残念ながら、県大会で個人で優勝するという目標を果たすことはできなかった。

 

全国大会に進んだ私たちは、予選で敗退した。

残念ながら補欠の私には出場の機会はなかった。

しかし、出場させてもらえる機会があるかもしれないという期待から、一生懸命に最後まで練習をしていた。

全てが終わったことで、私は目標がなくなり、燃え尽きてしまった。

 

「迷い」と「決断」

部活動から引退した3年生は、今後の進路を決定することになった。

柔道を続けるか辞めるか。その選択は今までの人生でも大きく迷ったところだった。

当たり前のように続けることを選択する仲間が

「お前もやるだろ?」と当たり前のように誘ってきた。

私は正直なところすごく迷っていた。

その頃の自分は目標が見えずに、燃え尽きてしまっていた。

「つらい練習の先に、これから柔道を続けることによって何があるのか?」

「また、大学に入れば、さらに厳しい練習があり、上下関係もあるだろう」

「今まで柔道の練習ばかりだったから、普通の人の生活をしていみたい」

そのような思いが、何度も心の中で廻った。

 

しかし、仲間達から「一緒に続けてほしい」という気持ちが、とても熱く伝わってきた。私の考えとは全く違い、彼らの中では「続けたい」という気持ちが当たり前のようにあった。

だが、もちろん私と同じように「もうやめたい」と考えている仲間もいた。

「やめるやつ」と「続けるやつ」という括りで分裂をしてしまうような雰囲気が私は嫌だった。

 

私は、自分が本当に続けたいのかの気持ちを見極められないような状態で、仲間達に引っ張られるような気持ちで、続けてみようと思うようになった。

 

私は「大学でも柔道を続けたいと考えている」と母に相談をした。

しかし、そこでの母の答えは

「大学ではアルバイトをたくさんしなくは、ダメ。お金がかかりすぎる。本当にやりたいなら奨学金でも借りて後から自分で返しなさい。」

というものだった。

今、思えば、当たり前の答えだったと思う。

 

私には大金を借りて後から返す自信なんてなかった。

そこまでして、続けたいとも思えなかった。

仲間には「家庭のお金の都合で、できない。すまない」と伝えた。

仲間はとても悲しそうだったが、

「それなら、仕方ないな。」理解をしてくれた。

 

この頃は、結局、逃げたとばかり自分に感じていた。

借金すれば、できるけれども、そこまではできない。

結局やめたいだけなのに、都合がよい口実を話して、やめた。

そんな自分に罪悪感を感じていた。

 

気持ちが落ち込んだ期間が続いた。

今まで、情熱の全てをかけた柔道をやめるということを受け容れることに対して時間がかかった。

 

だが、しばらくして、大学では音楽活動がしたいと自分で決断をした。

そのために、毎日ギターの練習をした。

柔道での情熱をその分音楽に注ごうと思った。

 

大学に入学し、自分で入りたい音楽サークルを決断した。

サークル活動を通して、たくさんの仲間と巡り合うことができた。

そこで出会った仲間達とも、定期的に会う機会を設けている。

 

この前、高校の柔道部の仲間に会いたくなって連絡をとった。

柔道を続けていた仲間は、警察官になり、柔道を教える仕事をしていた。

柔道をやめた仲間はSEになっていた。

 

ひたすら、当時の思い出話をした。自分が覚えていないことも、しっかりと覚えてくれていたり、自分が普段忘れていることも思い出して、話した。

 

それが、すごく楽しかった。

 

道はひとそれぞれで、なんにも間違ってはいないし、正しくもない。

 

ただ、その時、その場所で、一緒に生きてくれる仲間がいた。

 

それ自体がとても素晴らしい時間で、愛おしいものだと感じられたらよいと思う。

 

そんな風にあとで人生を振り返った時、自分で思えるように、生きていきたい。