子供との関わり方について思うこと。
娘が生まれたのは、3年9ヶ月前のことで、夏に4歳になる。
昨日の娘は私に
「大きいディズニーランドに行きたい」
と言ってきた。
「大きいってなんだ?」
と私と妻で笑っていた。
保育園の友達が、ディズニーランドに行ってきたらしく、影響を受けたそうだ。
我が家は未だに一度もまだディズニーランドに娘を連れて行ったことはない。
理由は「混んでて大変」という当たり前のものである。
私は何度か連れて行こうかという提案を嫁にしたが、「遠いし、混んでるから無理だよーー。」という言葉でかき消されてきた。
しかし、今回は娘の意思で
「行きたい」という言葉が出てきたことにより、大きく親の気持ちが変わった。
また、4歳から子ども料金がかかることもあり、3歳のうちに連れて行く。
という目標ができた。
ディズニーランドへの道のりは、近くの駅からバスで2時間くらいで行ける。
着いたら、娘はどんな反応をするのだろう?
無茶苦茶はしゃいだりするのだろうか。
なにも、教えてないのに急に
「ミッキーのお家行きたい!」
とか喋り出すのだろうか?
娘の喜ぶ姿を想像するとわくわくする!
大人になってはじめてのことがあまりなくなるから、わくわくするって感情を少し忘れてた。
でも、子どもにとってはこれからはじめてのことが沢山あるし、それを知ったらわくわくするんじゃないか、ってことを考えるとわくわくする。
自分の子どもの気持ちになって、物事を考えてあげられる親になりたい。
自分がこんな風に育ってほしいっていう、気持ちもあるけど、なにも押し付けたくない。
娘は娘の自立した人生を歩んでほしい。
そのための支援がしたい。
いつも意識していることは、娘が「やりたい」といったことを存分にやらせるということだ。
今朝は「自分で卵焼きをつくりたい」と話してくれた。
計量カップに卵を割って入れる姿をみて、
「卵2つわれたね。」とありのままの事実を伝えた。
どんどんチャレンジしてできることが増えてほしい。
そのように心から思う。
最近コーチングの研修で学んだことは、
「ありのままを受け容れることも承認になる」ということだ。
「そうなんだ。」って受け容れる。
それだけで、相手は認めてもらえているという気持ちになる。
このことを自分の身を持って感じた。
いままでの自分は
「そうだよね。辛いよね」というように、共感をすることがほとんどだった。
共感すことで相手の悩みが少しでも楽になればいいなと思っていた。
しかし、「そうだよね」という風に受け入れる「共振」という形でも、十分に人を承認していることになるということを学ぶことができた。
「すごいね!」「えらいね!」ってほめなくてもいいのです。
「チャレンジしてくれて、お父さんも嬉しい」ってたとえ失敗した時でも声をかけられるような父親でありたい。
チャレンジして、成功した時も
「感動した!ありがとう!」って伝えたい。