なかなか許せない人がいる方へ
酷いことを言われたことが何度もある、酷いことをされた方はなかなかその人を許すことができないと思います。
私の母もそのような時期がありました。
その頃の母は私に
「父親がずっと許せなかった」と話してくれていました。
その理由としては、とても厳しく育てられたという所が一番の理由でした。
祖父は学校の校長先生でした。
長女として生まれた母は、祖父の言うとおりに、真面目に勉学や習い事に励み、自由が許されなかったそうです。
そのため、早く自由になりたい、早く、自立して自分の家庭を持ちたいと考えていたそうです。
父と出会い、結婚するときも「祖父から逃れるために、田舎に引っ越した」というように話をしてくれました。
自分の親を許せない状況というのはとても辛かったと思います。
結婚した後もずっと、祖父のことを引きずっていたそうです。
ずっと許すことができず、憎むことで自分も嫌な気持ちになってしまっていたようです。
それゆえに悩み、母は精神的な支えになる本を読むようになりました。
スピリチュアル関係の本や、哲学者の本をよく読んでいたそうです。
その中で、この言葉に出会えて本当によかった。
すっきりした!
と今でも覚えている言葉を紹介したいと思います。
デカルトの「省察・情念論」という本の一節です。
「高邁」(こうまい)の心は他人を軽視せしめない
他人が過ちをおかすのは、よき意思の欠如によるよりはむしろ、認識の欠如によると考えることに傾く。
「認識が欠如している」と思うことで、仕方ないと思えるようになったそうです。
私も初めて、これを聞いたときはすごい考え方だと思いました。
この情念論には、人間の感情はどのようにして起きるかというようなことがすべて記してあります。怒り・喜び・不安・緊張など、その際の体の変化など。
その中で自分が最も好きな箇所を紹介したいと思います。
「高邁」の特性は何か。それはいかにして情念のあらゆる錯誤を救うるか
①偉大なことをしようという心組みでいるが、自分にできると感じないことは企てない。
②他人によいことをし、自分自身の利害を軽視することを最も偉大であると考える。
③誰に対しも申し分なく礼儀正しい。愛想よく、親切である。
④自分の情念を完全に支配している。
自分の力で獲得できないものは大した価値がないと考えるから
「欲望・執心・羨み」に動かされない。
他人をすべて尊重しているから「憎み」に動かされない。
自分の徳に対する信頼があるので、「恐れ」に動かされない。
他人に依存するものの全てのものをたた軽くしかみず、敵の優位性に傷つけられるほど、敵に優位性を許すことはないので、「怒り」にも動かされない。
この部分を読んでから、「すごい!こうありたい」と思いました。
なかなか難しいかもしれませんが、自分の情念を支配できるようになると、本当に幸せだと思います。
興味がある方はぜひ、読んでみてください。